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個性ってなに? - NeuroCafeレポート

まちの保育園・こども園などを運営される松本理寿輝さんをお招きし、「個性ってなんだろう?どうすれば活かせる?」というテーマで、現場での実践と脳神経科学の双方の視点から語り合わせていただきました。

2022年3月8日

みなさん、はじめまして。DAEの三木です。

2022年2月5日(土)の昼下がりに、まちの保育園・こども園などを運営される松本 理寿輝(まつもと りずき)さんをお招きして、「個性」をテーマに開催した第1回のNeuro Cafe(脳カフェ)。今回はその様子を、モデレータとしてご一緒させていただいた私の視点からレポートします。

 

語り手のご紹介 

モデレータには私に加えて、長年、幼児から高校生まで幅広い年代の子どもたちの教育に関わってきたDAEの美穂さんが、実践者の立場からご一緒させていただきました。

 

そもそも脳カフェとは?

Neuro Cafe(脳カフェ)は、ユニークな取り組みをされている、ユニークな方をお招きして、そのお話をお伺いしながら、ご一緒に学ばせていただく対談形式のイベントです。どんなテーマであっても、もちろん正解はありませんが、「実践の視点(具体的な取り組み)」に「脳神経科学の視点」をブレンドさせていただくことで、何か新しい気付きや学びが生まれる場になればと思っています。

今回はウェビナー配信だったこともあり、あえて一方通行で濃密に脳の面白みと不思議に浸っていただくNeuro Lecture(脳レク)とは少し趣向を変えて、ご覧いただいている皆さまからコメントやご質問をいただきました。イベントの時間内ではなかなか多くを取り上げることができませんでしたが...、いただいたコメントやご質問はレポートや今後の企画にも活かしていければと思っています。

 

当日のトピックたち

  • 松本さんからのお取り組み紹介
  • テーマ1:「個性」って、なんだろうを考えてみましょう
  • テーマ2:「個性」って、どうすれば気付ける?活かせる?そのヒントを探ってみましょう

皆さまからいただいたご質問はやはり時間内では取り上げ切れず...、(恒例の?)延長タイムを取らせていただいて、語り手のお二人にお答えいただきました。

 

こんな園があったなんて!松本さんからのお取り組み紹介

まずは松本さんから、まちの保育園・こども園での取り組みを、「個性」という観点を交えながらご紹介いただきました。冒頭から早速、「おもしろすぎる。。。涙がでてきました」「日本にもこんな素晴らしい園があったんですね」といったコメントが寄せられました。

松本さんご自身がとても楽しそうにお話されるので、引き込まれます。

まちの保育園・こども園は、松本さんが学生時代に児童養護施設でボランティアをしたことから子どもの環境に興味をもち、立ち上げた保育園・認定こども園です。イタリアのレッジョ・エミリア市で実践されている、地域をあげた幼児教育・芸術教育とも連携をしながら、現在では都内で5つの園が運営されています。たくさんのユニークな取り組みがされていて、『コミュニティの中で子どもが育つ』という視点に加えて、『子どもがまちを育てる』という視点は、レッジョ・エミリア市から視察に来た方々にも気付きがあったそうです。今回は「個性」というテーマにフォーカスを当てましたが、機会があれば、他のテーマでもご一緒してみたいです。(ご興味を持たれた方は、ぜひまちの保育園・こども園のサイトもご覧になってみてください!)

 

もちろん、ご紹介いただいた子どもたちの活動や作品はすごく魅力的なものばかりでしたが、松本さんのお話の中で象徴的だと感じた言葉が、

 

一人ひとりの、素敵さ

 

でした。この「一人ひとりの、素敵さ」がクラスを盛り上げて、アイデアや出会いを生み出す。そのプロセスをまるごと認めることで、どんどん違いが楽しくなって、それがコミュニティや先生たちも楽しくさせる。

チャットにはまさに、「子供たちの感性、その表現をこのように知ることが出来て、私も幸せになってきます」というコメントも寄せられ、「一人ひとりの、素敵さ」がウェル・ビーイングへと結ばれていく育みが、まちの保育園・こども園では実践されているということを感じました。

 

個性が無いなんてことは無い?「個性」についての対話

松本さんからのお取り組み紹介に続いて、まずはそもそも「個性」ってなんだろうという、少し抽象的なお話について、松本さんと青砥にお聞きしていきました。その中で、私自身が得た大きな気付きは、「個性という、何か特別なものがあるのではないか」という思い込みでした。

「個性が無い、ってどういうことだろう」という松本さんのコメントから対話はスタート。

何をどう感じて、それに対してどんな反応をするのか。世界とどんな風に触れ合って、どうやって遊んでいるのか。「個性」という言葉を聞くと、どうしても何か形のあるもの、アウトプットとして外に出てきているものをイメージしてしまいがちですが、1人ひとりが違う感じ方をしていること、インプットやプロセスの違いがあることがおもしろくて、それが「個性」なのではないかとお二人は話してくれました。

 

今回のイベントにご参加いただいていた方の中には、海外にお住まいの方もいらっしゃったのですが、そういった方々が寄せてくださった感想から「個性の捉え方はコミュニティによってまったく異なっていて、人と人が違うのは当たり前という国や地域もたくさんあるのではないか」という気付きもいただきました。

 日本で「個性」というと、どうしても「出る杭」をイメージしてしまう方もいらっしゃるかもしれませんが、もしかしたら、そういった捉え方の方が特殊で、「それぞれに当然あるキャラクター」くらいに捉える方が自然なのかもしれません。

 

「個性」は誰にでもある当たり前のもので、それを一緒に楽しんでいくことで、さらにそれぞれの「個性」が磨かれていく。それによって、子どもにとっても大人にとっても楽しい毎日につながりそうだなという、意外と気付いていない視点を発見できたような気がしました。

 

「やってみたい。できるようになる」を見守る、大切さ

トークの後半は、「個性」にどうすれば気付けるの?活かせるの?というテーマについて、モデレータの美穂さんも入って、対話を深めていきました。

後半は、実践されているからこその具体的なヒントを聞かせていただく時間に。

「常におもしろがって、その子の中できっと何かが起きているはず」という、眼差しで子どもを見つめることの大切さを語ってくださった松本さん。個人的には、木のぼりの例えはとてもわかりやすく、自分の子どもと触れ合う時にも意識したいなあと感じました。

 

例えば、子どもが木に登りたいと思っているなと感じた時に、その子が自分の力で登れるようになるのを待つようにします。大人が手伝って、木の上に登らせるのは逆に危険。その子がリスクを取ってでもチャレンジして、登れるようになるということが大切で、そのプロセスを見守るようにしています。

 

青砥からは、チャレンジするためには脳が安心している状態、好奇心で動けるような状態を作ることが大切なのではないかという話がありました。脳にはエラー検知の仕組みがあり、ネガティブな情報があると、どうしてもそちらに意識がいきがちになってしまうそうです。「心理的安全」や、特に保育の領域では「アタッチメント」という言葉で表現されるような、安心してチャレンジし、成功体験(自分にはできるんだ、という気持ち)を繰り返し記憶に刻んでいけるような環境づくりは大切だと感じました。

 

また、「好き」という気持ちは何かに取り組んだり、学びを定着させる上でとても重要です。特に小学校以降の教育になってくると、好きになれなかったり、興味を持ちづらかったりすることも増えてくるかとは思いますが、上手にその子の「好き」に結びつけて、好奇心を抱けるように働きかけることも大切かもしれません。これはまさに、美穂さんが取り組み続けてきたテーマにも通じるところだと感じました。(美穂さんのブログもよろしければぜひご覧ください!)

 

無意識に持っている「べき」を外していく工夫

 

まちの保育園の皆さんって、子どもを怒ったりするんですか?

 

そんな質問が、青砥から松本さんに投げかけられました。これは確かにとても気になります。それに対する、松本さんの回答は、

 

もちろん、命に関わるようなことや、ルール的にどうかなと思うことには注意はします。ただ、ルールについては、自分たちで考えてほしいなと思っていて、他の友達に入ってもらって、「どうしたらいいと思う」と聞くこともあります。先生に頭ごなしに言われるのと、自分たちでこうだなと考えるのとでは、感じ方が違うんじゃないかなと思っています。

 

この「対話」の考え方は、個性を活かしていくためにとても大切な工夫なのではないかなと感じました。脳神経科学の観点からは、人は怒る時に、その人自身がストレス過剰な状態になっている可能性が高いそうです。また当然、怒られている方もストレスを感じてしまって、いわゆる「頭が真っ白」(専門的にはストレスホルモンが脳に巡ることで、前頭前野の働きが鈍くなってしまうそう)の状態になってしまう。そうなると、情報をうまく処理することが難しくなるし、それが繰り返されると思考停止が癖のようになって、「没個性的」になっていってしまうのだろうなと感じました。

 

私たちは無意識に、こうある「べき」だという考えを持ってしまっていると思います。それ自体は仕方のないことですが、それを頭ごなしに押し付けてしまうと「個性」に気付いたり、活かしたりするチャンスを逃してしまうかもしれません。この「べき」を外していく工夫が、「きっと何かあるはずだ」という眼差しであったり、対話をすることで一緒に解決していこうとするプロセスなのではないかと感じました。

 

私たち大人は長く生きているからこそ、この「べき」を強く、たくさん抱えてしまいがちです。ただ、その「べき」が子どもにとっても必要な「べき」なのかどうかはわからないし、むしろ学びを邪魔してしまうこともありそうです。大人だから、子どもだから、という意識をなるべく持たずに、1人の人間として、松本さんの言葉を借りると「一市民として」対話をしていくことの大切さを、松本さんも美穂さんも語られていたと思います。

 

Q&Aセッション(延長戦)

他にもいろいろなキーワードが出てきて、話は尽きませんが、このあたりで時間切れに...。ただ、たくさんご質問をいただいていたこともあり、少しだけ延長させていただいて、Q&Aへのコメントをいただきました。そちらも少しだけご紹介します。

Q&Aの中でも、興味深いエピソードやキーワードが出てきました。

 

Q. 公教育では、どうしても「同調圧力を育む」という空気を強く感じてしまうのですが、まちの保育園での採用や研修ではどういうことをされているのですか?

松本さんからは、あらためて「対話」の可能性について、教えていただきました。

あらゆる社会、あらゆる集団には必ず文化やコミュニティルールがあって、まずは良いところも悪いところも含めて認識するということは大切なのかもしれないということを個人的には感じました。その上で、例えば「同調圧力」という文化を変えていきたいとした場合には、長くその環境にいる先生たちだけでは突破していくのが難しいかもしれない。子どもや生徒に聞いてみる、むしろ頼ってみるというところから新しい文化やルールを探り続けていくことがまちの保育園・こども園の皆さんが日々、実践されていることなのだと感じました。

 

Q. どうして、ヒトは「べき」を押し付けてしまうのでしょうか?脳ではどういうことが起きているのでしょうか?

「同調圧力」や「べき」について、特に大人は課題を感じつつ、自分自身もそれに囚われてしまいがちなのではないかと思います。そんな「べき」との付き合い方について、脳神経科学の視点から青砥に解説してもらいました。

 

脳神経科学の視点からは、「べき」はある神経回路が繰り返し使用されることで、その部分の結びつきが強くなった状態と考えることができ、大人になればなるほど、こういった「べき」を変えるにはエネルギーが必要になるそうです。「べき」は自分にとっての「当たり前」なので、そうでないとエラー検知の仕組みが働いて、リスクを感じたり、結果として攻撃的になって押し付けをしてしまったりといったことが起きるようです。

現代は変化の激しい時代、先の見えづらい時代と言われたりもしますが、「べき」に囚われていると、新しい可能性を楽しむ機会を逃してしまうかもしれません。特に最初はエネルギーが必要ですが、意識的に違いを楽しんでいくこと、それを習慣としていくことが大切なのではないかというアドバイスがありました。

 

Q. 保育園で個性を大切にしても、小学校へ行くとそれが崩されてしまうのが現実だと感じます。そこは今後、変わっていくのでしょうか?

この質問については、松本さんも青砥も、これからの可能性を大いに感じ、楽しみにされているんだなと感じました。

 

「どんどん事例を作っていくしかない」と言う松本さん。松本さんが保護者や小学校の先生たちとお話をされていると、共感してくださる方はたくさんいらっしゃるし、実際に事例を発信し始めている先生方も増えてきているそうです。近い将来、そういったものが集まって力となり、きっと教育が一気に変わり始めるという未来を松本さんは確信されているように感じました。

美穂さんからは、学校だけではなく保護者や家庭の影響もとても大きいという話が挙がり、松本さんからは、子どもの身近に保護者や先生ではない大人がいるような環境を作って(「社会のメンター」)、社会として非定型のインテリジェンスを取り入れていく可能性も提起されました。まさに、イベントにご参加いただいた皆さまと一緒に、そういった未来に取り組んでいけると良いなと感じました。

 

いかがだったでしょうか?まだまだご紹介しきれていないエピソードや皆さまからのコメント・質問も多いのですが...、またの機会にそういったものもご紹介できればと思います。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。